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空白の一年を綴っていけ

「チノちゃんの人生」の考察

まえがき

前回の記事で予告させていただいたように今回はらくあ氏による短編譚「チノちゃんの人生」の考察を行なっていく。もしまだ「チノちゃんの人生」を読んでいない方がいるならば、そんなものは読まずに速やかにこの記事を閉じて有益なことに時間を使っていただきたい。

一応元の記事を載せておく

なお本記事では一貫して常態にて執筆する。

各部考察

「新元号は『陰茎』です」

文章を読み始めての初手一行で陰茎。男根のメタファーどころかそのものである。

現実の方でも2019年5月1日におよそ200年ぶりの天皇生前退位が行われ、それに伴い改元も実施されたというのはつい数週間前の話であり記憶に新しいことだろう。

平成という時代と皇室を合わせて考えてみると、この時代は女系天皇の是非がかなり問われたと言える。現皇后が愛子様を産んだ後周囲からの男子を求める声に精神を病んだこと、その数年後まで皇位継承権を持つ皇籍の男性が2人しかいなかったという経緯もあり、一時は皇室典範改正も目前ではないかとまで言われていた。

結局秋篠宮悠仁様をもうけたことによりこの話題はしばらくなりを潜めたものの、新天皇の即位により皇位継承者が2人、年齢を鑑みれば実質1人という状況に変わりはない。改元という最近に起こったイベントに絡めて、近年の男女平等主義の皇室への波及や社会における性格差を、時代を表す元号に忍ばせた形と言えるだろう。

象徴学における"男性"性という観点においては、男根は「威圧」「権威的存在」そして「多産」「豊作」「繁栄」のモチーフであるともされている。(実際道祖神生殖器の偶像を御神体とする神社は珍しくない)

穿った見方をするならば、国民に寄り添っていないと揶揄されることの多い我が国、公のあり方を、社会的性(ジェンダー)の考え方が一般に広まりつつある現代の潮流をも無視し、象徴的・身体的性を前面に押し出してまでも貪欲に発展を祈願したかのような元号選択に仮託させているとも取れないだろうか。

 

 

極右のリゼさんは乳首に旭日旗シールを貼って菅官房長官もとい陰茎おじさんに敬礼したまま動かない。

この部分の記述において、目につくものといえば当然シールである。

シールを貼るという行為、もっと広く言うならば「上書き」という行為にはある種の属性付与の性質がある。(スーパー閉店直前の半額シール、幼い子供が自分の持ち物に目印、装飾として貼るシール、判子、どこぞに付けられたキスマークetc)

このことを念頭に置けば、極右とのことであるリゼ氏が乳首に旭日旗シールを貼ることで、自らを国に属する者、右派の言うところの臣民の一人であるということを誇示しながら敬礼していると解釈するのも納得であろう。

 

ココアさんはリゼさんの陰毛にソビエト連邦の国旗シールを貼ったり剥がしたりして遊び始めたようだ。

そうすると後半の記述にも一定の解釈ができる。この文脈ではリゼ氏は極右であるとのことなので、そのリゼ氏の陰毛に対しソ連国旗シールを貼ったり剥がしたりするという行為には日本国に対しなんらかの干渉を行うソ連(またはロシア)という構図がみてとれるだろう。

また、リゼ氏の皮膚にではなく敢えて体毛に対してココア氏が件の行為を行なっていることも大変に意味ある描写だ。

一部を除き有機生命体である読者の方々であれば想像に難くないであろうが、体毛というのは身体の中でも頻繁に入れ替わる部位(?)であり、多少力を込めて引っ張れば簡単に抜ける。ココア氏がシールを貼ったり剥がしたりしている最中も何本が抜けているのではないだろうか。つまるところこの描写には日本国に対し何らかの干渉を行うロシア、さらにはその干渉により所属の揺らぐ日本国の一部という形が秘められているのだ。

もうお気づきだろう、これは紛れも無く北方領土問題の暗示である。

さらには、

 

陰毛が引っ張られる刺激を断続的に与えられるリゼさんはその艶かしい身体を痙攣させながらビンビンに愛国心を感じていた。

というように、リゼ氏というキャラクターを通じ、政治的緊張に対し受動的な態度でありながら、場違いな愛国心に恍惚とする自己満足に終始する日本側の対応にも痛烈なクエスチョンを投げかけているのだ。

一見すると単に筆者の性癖を全面に押し出しただけの描写にも見えるが、ここにも筆者からの確かなメッセージが読み取れる。

 

 

そんな時、千夜さんの毛穴から「七索」が排出された。それです、千夜さん。

「ロン」

私は2600点の安手を和了り、トップを守り切った。

麻雀のルールを知らない方はぜひ下記ページよりルールを把握していただきたい。(その上でいつか卓を囲みたい)

 

これまでの流れから、この文章においては「体毛」というのはある国の領土とされていながらその所属が争われている地域の暗喩の可能性が高いということは共通認識となっているだろう。

ここで下の画像をご覧いただきたい。

f:id:agajaba:20190511234643g:image

これは一般的な「七索(チーソー)」牌の画像である。ご存知の方も多いと思うが、麻雀の数牌には「筒子(ピンズ)」「萬子(マンズ)」「索子(ソーズ)」の三種類が存在し、それぞれ穴の空いた貨幣、お金の量、貨幣の穴に紐を通したものが由来とされている。

索子はその貨幣の束がのようにも見えたため今のような図案になったのではないかと言われている。

竹、そして体毛。もうわかった方もいるのではないか。

この描写は日本と韓国の間の竹島領有権問題に切り込んでいるのだ。

また、ロンした牌からも現状の日韓両国のこの問題への取り組み方がうかがえる。

麻雀において、3と7の数牌は順子を作る際ほぼ全てに絡んでくるため尖張牌(センチャンパイ)という特別な名前があり非常に重宝される。 

チノ氏が安手で和了っていることとトップを守り切ったという描写から、この局はチノ氏がトップのオーラスであり、ロンした時点でそれほど巡目は進んでいないと推察される。このような状況においては尖張牌のようないかにもな危険牌は可能な限り切らないのが定石であるため、千夜なる人物はかなりリスキーな捨て牌選択を、言い換えれば大きな点数で和了り逆転する可能性に賭けた捨て牌選択をしているのだ。

竹島問題に関しての韓国の取り組み方を振り返ってみると、実力行使による不法占拠、文献の拡大解釈による歴史の捏造など、万が一国際世論に認められればかなり大きな外交カードとなる一方でその可能性は極めて低いと見られる手段が多い。

対して日本は昭和29年(1954年)以降三度にわたり国際司法裁判所への提訴を韓国側に提案している。三度とも拒否されてはいるものの、法のもとでならば確実な勝負が出来ると見込んで安パイを切っているわけだ。

国際世論上でもサンフランシスコ平和条約などを根拠に日本の立場を支持する意見は優勢であるとされており(もちろん、実効支配期間の長い韓国側の主張を崩し、退去まで事を運ぶのは決して簡単な話ではないが)日本が優位な立ち位置にあることは明らかである一方で事態が中々進展していないのも事実だ。

安手で逃げを見せ勝負を避けようとするチノ氏の姿勢に筆者が込めた想いは現状批判か、或いは。

 

まとめ

以上の考察より、この文章においての隠された主題は「日本政府に対する批判」が主であった。400字に満たない文章の中にこれだけのメッセージを、巧みなメタファーに織り交ぜて発信するのは到底人間技とは思えない。

日夜140字以下の文字数でレスバをする訓練を積んでいるらくあ氏ならではだと言えるだろう。今後の活躍にますますの期待が寄せられる。

 

あとがき

くぅ~疲れましたw

 

 

いやマジで。

 

ネタで考察して面白いこと言うのも大変だけどネトウヨ、パヨクとかが頑張って色々こじつけているのを真似するのもかなり大変だった。自分でやっといてなんだけどこんな感じのはもう二度としない。

ネタになりそうなこと、これを書けというようなことをお持ちの方はTwitter等にどしどしお寄せください。

それでは△◇

 

追記

シャロさんは冷汗をかきながら端っこの席で電話している。不在票の再配達を依頼するはずの電話を間違って「いのちの電話」にかけてしまったらしい。ここまで来たら引けないとか訳の分からないことを言いながら悩み事をでっち上げている。

頑張ってはみたもののこの部分からなにかをひねり出すことがどうしてもできなかった。読者の中になにかしら解釈の余地を感じたと言う方がいれば是非とも聞かせてほしい。